Picture of the Day


Page 2

チクレは1869年に国際的に脚光を浴びるようになった。アラモの砦の戦いで有名なメキシコ人将軍、サンタ・アナのアントニオ・ロペス(Antonio Lopez de Santa Anna)はニューヨークの発明家トーマス・アダムス(Thomas Adams)を雇い、チクレを使った新しいゴム素材を開発させようとした。アダムスはゴム開発には不成功に終わったが、将軍が「ガムのパン」を噛んでいるのを見てガムボールを発明した。アダムスは2,300kgの生チクレを輸入してガムボールを生産し、1920年代の合衆国に始まり、ついには世界中がガムボールを噛むようになった。

Slicing The Tree

不幸なことにガムを噛む習慣によってガムの木の需要が高まり、ガムの木の再生能力が需要に追いつかなくなってしまった。樹液採取間隔は通常5年〜7年必要で、それ以下になると樹木は枯れてしまう。1929年〜1930年の間にカンペシェ州だけでも100万本以上のchicozapoteの木が枯れてしまった。

1950年代には石油がガムの木に代わって使用されるようになった。合成ガムが発明され、チクレ採集者は打撃を受けた。同時にchicozapoteの木やその周辺環境を保護しようとする動きも止んだ。後に環境運動によって自然加工品や熱帯雨林農業保護に対する人々の関心が高まり、チクレの新しい市場が台頭してきた。1971年までにその需要は1,300トン、196億USドル分にまでなり、チクレ採集者は再び木とその周辺環境を保護するようになった。